
バスク地方はフランス・スペイン国境に連なるピレネー山脈の北西端、ビスケー湾に面した地域。フランスとスペインの両国にまたがって広がるが、民族的にフランス人やスペイン人とは異なるルーツを持ち、独自の文化・言語をもつ。標識などはフランス語またはスペイン語とバスク語の二カ国語表記されている。スペイン・バスクでは特に民族意識が強いようで、最近になり学校でバスク語が教えられるようになったらしい。
バスクと言えばなんといっても美食の町のイメージ。スペインのミシェランの三ツ星レストランの約半分がバスク地方にあるらしい。バルをはしごしてピンチョスを食べ歩きたい。
バスクのもう一つの魅力は白い壁に赤や緑の木枠組みの家が並ぶ町並やかわいい雑貨たち。フランス・バスクの山あいの町や海沿いの町を散策するのが楽しみ。
そしてもう一つの目的がロードバイクのレース観戦。バスク地方はロードバイクが盛んで有名なサイクリストを多く輩出していている。ブエルタ・ア・エスパーニャという三週間かけてスペインを周るレースのステージがバスクを通る。熱狂的なバスクの人々に混じって応援したい。

オンダリビアはフランスとの国境近くの漁港町。戦略的要所であったため城壁で囲まれた要塞都市の面影を残している。神聖ローマ皇帝カール5世のお城と知られる古城はパラドール(ホテル)になっている。旧市街の広場にはバスク特有の白い漆喰の壁に赤や緑の木枠組みと鎧戸の建物が立ち並ぶ。サン・セバスティアン空港に近く便利なので、バスクに着いた初日をここで過ごした。
町に出ると緑の服やスカーフを身につけている人が溢れている。トライネラと呼ばれるボート・レースの日で、オンダリビアのボートチームのチームカラーである緑みらしい。オンダリビアのチームの歴史は1862年まで遡る。バルの軒先ではたくさんの人がテレビに釘付けになって応援している。町にはボートチームのオフィシャルショップがあり、Hのマークの入った緑のTシャツが欲しかったのだが、あいにく昼休みと重なり買えなかった。
ランチは予め予約してあったLa Hermandad de Pescadores(漁師組合の店)に行った。日本の航空会社の機内誌にも掲載された事があるらしく、日本語メニューもある。魚介スープが特に有名で、優しい味でいくらでも食べられる。バスク地方の微発泡ワインのチャコリとカニ料理などを楽しんだ。

ランチのあとは腹ごなしに町を散策してから有名なバル(Gand Sol)へ。ここではピンチョスをふた皿とチャコリを頼んだ。温泉卵イカスミとチキンスープにパリパリのポテト、フォアグラとスモーク鱈にピーチソース。なんて美味しい!こんなに美味しい一皿を立ち食いで気軽に食べられるなんて。なんと豊かな食文化なのかと感激。
滞在中は偶然にもお祭りをやっていた。17世紀にフランス軍の攻撃から町を守りきったことを祝うお祭りらしい。城壁内の石畳の道を赤いベレー帽に民族衣装を身に着けて銃を担いだ男たちが鼓笛隊とともに練り歩く。鼓笛隊の人の足元はエスパドリーユ!祭りが終わった後旧市街の広場に行くと祭りの参列者たちがたむろして立ち話をしていて、すごく絵になった。祭りでは子供の牛追いもやっていたが、牛は紐に繋がれているので迫力ゼロ。

サン・セバスティアンでの楽しみはなんといってもバル巡り。旧市街地には百軒以上のバルが立ち並ぶ。初めてのバル巡りは現地在住の日本人ガイドに依頼した。スペイン語もバスク語もバルの作法もわからないので、お願いして大正解。本で見た気になるお店や食べたいものを伝えて、彼女のおすすめと合わせて五軒ほど巡ってもらった。二回目は自分たちで回った。本場のバスク・チーズケーキにありつける!とろっとろでおいしかった。
ビスケー湾の真珠とも呼ばれる美しいラ・コンチャ海岸は旧市街地からすぐ。バル巡りの途中に浜辺を歩くと腹ごなしにもなる。海に沈む夕日は格別。今回は時間がなく行けなかったけれど海岸の西端にある小高い山モンテ・イゲルドから見下ろす景観は有名。

エスプレットは唐辛子生産で有名な町。ワインやチーズでおなじみのAOC(生産地呼称制度)は唐辛子でもあり、認証を受けている。唐辛子の収穫期は8月から11月の間で、収穫された唐辛子は天日で数週間干される。9月に訪れたので、白い壁に赤い木枠組み建物の壁には真紅の赤唐辛子が大量にぶらさがっている。バスクの他の町で建物の木枠組は赤か緑が多いが、この町ではすべて赤に統一されている。

この町を訪れた一月前に開かれていたロードバイクの最高峰のレース、ツール・ド・フランスのステージのゴール地点だったため、いたるところに自転車のイラストが入った看板などが残っているの。パン屋さんの窓にはパンを持って自転車に乗る人の絵、キオスクの窓には新聞を読みながら自転車をこぐ人の絵といった様子。ウィンドウを見ていて本当に飽きなかった。小さなスポーツ用品店でバスクの色(緑と赤)のサイクルジャージを購入。そこの店主は「ツールの日には往年の選手が来てここで買い物して行ったよ」と得意げ。そして、まだそのままだという町の外れにあるゴールラインの場所を教えてもらう。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポールはサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の宿場町。フランスからの巡礼者にとってピレネー山脈を超える前の最後の拠点ということで栄えた。町の入り口にあるサン・ジャック門を抜けると、石畳の通り沿いに巡礼者のための案内所や宿が軒を並べる。坂を登っていくと城跡があり、そこから見下ろす町とピレネーの景色が美しい。

アイノアも巡礼者の宿場町として作られたピレネー山脈の山間の村。牧草地に囲まれた小さな集落と美しい教会が印象的。全く観光地化されていなく、フランスの美しい村にも認定されている。オテル・イチュリア(Hotel Ithurria)というミシュラン一つ星のオーベルジュがありバスク風フレンチ料理を楽しめる。
サン・ジャン・ド・リュズはフレンチ・バスクの海辺の町。夏にはヨーロッパ各地から多くの観光客がリゾート地。訪れたのは9月の中旬の平日だったが町に入る道は渋滞していて、ビーチには日光浴を楽しむ人で溢れている。ルイ14世がスペイン王女マリー・テレーズと結婚した町、マカロンの発祥の地としても有名。リゾート地だけあって洗練されたお土産屋さんが充実している。
オンダリビアのマリア・ロサリオ・ベロタランというお店が品揃が一番良かった。いろいろな形や大きさのかごを扱っている。私達はパンをのせるのに丁度いいかごを2つ購入。
ピレネー地方の伝統時な靴で、底にジュート、アッパーにキャンバスを使用した靴。サン・ジャン・ド・リュズにあるBayonaというお店
バスク・リネンはもともと牛の日除け・虫除けのためにかぶせるブランケットとして使われていた。飼い主ごとに違う色のストライプを使っていた。やがてキッ家庭でも使われるようになった。伝統的なバスク・リネンの柄は7本のストライプからなり、バスクにある7つのプロビンスを意味する。
アスカンにあるラルティーグ1910は工場に併設されたブティック。
さくらんぼのジャム イッツァス(Ixxasou) アンチョビの缶詰
四日間と短期間の滞在だったが楽しめた。オンダリビアとフレンチ・バスクの山間の町が特に印象的だった。今度来るときにはビルバオやガステルガチェにも行ってみたい。
- 一日目:
- 早朝にバルセロナからサン・セバスティアン空港へ。
- 午前中:オンダリビアを散策。
- 昼食:漁師組合の店(La Hermandad de Pescadores)とバルへ。
- 夜:サン・セバスティアンでバル巡り。
- オンダリビア泊
- 二日目:
- 午前:オンダリビアでお祭りの見学
- 午後:レンタカーでフレンチ・バスクへ。アルカン、エスプレット、サン・ジャン・ピエ・ド・ポールをめぐりアイノアへ。
- アイノア泊
- 三日目:
- 午前:エスプレット、イッツァスに立ち寄りサン・ジャン・ド・リュズへ
- 午後:山あいをドライブして、スパイン・バスクへ。
- 夜:サン・セバスティアンでバル巡り。
- サン・セバスティアン泊
- 四日目:
- ロードバイク・レース(ブエルタ・ア・エスパーニャ)観戦
- 早起きしてスタート地点であるビルバオ近く町に移動してレース観戦。
- 車で移動して山頂ゴール近くでレース観戦。
- ビルバオ空港からバルセロナへ
最終更新日:2021年2月1日